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  • 2016.10.23 Sunday
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さよなら、熊本・大丸旅館

 本日、2012年2月5日、熊本の老舗旅館「大丸旅館」さんが
閉館致しました。

大丸旅館.jpg

三好女将は、一緒に女将会活動をしていた大先輩。
真っ白な肌と髪の毛一本乱れずセットされたショートヘア。
背筋を伸ばして、はきはきお話される姿は、
「凛とした女性とはこのような人のことを言うんだな」といつも憧れていました。

三好女将.jpg

お酒の飲みっぷりも豪快で、まさに”姉御肌”なのですが
大先輩をたてられる立ち振る舞いは、聡明な女性そのものです。

嫁いでから41年間、先代社長・先代女将も送り出され、改装費用も完済、
お子さん達もそれぞれの道を歩むこととなり、大丸旅館の60年の歴史を
閉じることになりました。

「わたしは熊本城が好きとたい、ずっと熊本城を見て暮らしたいと」と
おっしゃられるように、このブログでも熊本城の記事をたくさん投稿して下さいました。
2011年には、ブログの投稿もぴたりと止み、女将さんが旅館をたたむことに
とても悩み、一大決心をされたのだと想像します。

まだまだ、これから楽しみがいっぱいと三好女将。
41年間の熊本観光のために、ご尽力いただいたことに感謝します。

また、みんなで旅行へいきましょうね。

大丸旅館さんの貴重な写真は続きでどうぞ。
 大丸旅館の始まりは、
先代社長の故・三好芳太郎氏と故・先代キヨ女将は北朝鮮で
運送会社を営んでおりましたが、開戦後、運送会社は軍に吸い上げられ
芳太郎氏は戦争へ。
そんななか、キヨ女将は昭和17年に「千歳旅館」を開業しました。

先代キヨ女将.jpg
北朝鮮で開業した千歳旅館でのキヨ女将。

昭和20年の敗戦後、旅館は閉鎖し、全ての財産は軍に没収。
昭和21年に下関に引き揚げ、市場で魚や野菜を仕入行商で生計を建てました。

昭和25年に熊本移住、同27年に熊本新市街に大丸旅館を開業されます。

最初の大丸旅館昭和30年.jpg

三好女将は、昭和46年に大丸旅館に嫁ぎました。

先代社長昭和49年.jpg
先代社長と三好女将の長女さん。

昭和54年.jpg

三人のお子さんに恵まれ、昭和61年に現在の旅館に建て替えられました。

これからの10年間が一番大変だった時期。旅館業は、館内作業から営業まで
それに加え、家事と子育て。
空白の10年と言ってよいほど、よく思い出せない忙殺された時期でした。
新市街は、熊本市の中心繁華街。お子さんたちには、特に厳しく
門限17時に間に合わないときは家から閉め出されていたそうです。

社員の方々と.jpg
社員の方々、先代キヨ女将と。

50代を迎え、ようやく周りも見えるようになり、自分でやりやすいよう
旅館をきりもりされるようになりました。


2003年、ご家族で。


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  • 2016.10.23 Sunday
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  • 15:04
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コメント
相良村の高岡様へ

この度この様なお言葉を頂きまして、ほんとうに嬉しく胸が詰まる思いでございます。
26年もの長い間ご愛顧いただきました事、心から感謝申し上げます。
お見えになると必ず4階の桐の間にお通しした事を高岡様のお顔と共になつかしく思い出しております。
閉館の際のご連絡が不充分だった事をお詫び申し上げます。今は裏通りに終の住処を建てて、のんびり過ごしております。熊本へお越しの節は、お立ち寄り下さいませ。お待ちしております。
高岡様はじめご家族様のお幸せを祈りつつお礼とさせて頂きます。
  • 旧 大丸旅館 三好
  • 2013/07/01 6:11 PM
球磨郡の高岡と申します。
大丸旅館が閉館された事を知り、大きなショックを受けております。20代前半から毎年26年間お世話になったこと心から感謝しております。また、温かい言葉を毎年いただいたことも生涯忘れません。
女将さんをはじめ、スタッフの方々本当にありがとうございました。
また、祖父へのお心遣いにおきましても重ねて感謝申し上げます。
必ずやまたお会いできることを信じております。
大変遅くなりましたこと申し訳ありません。
  • 高岡
  • 2013/06/30 10:22 PM
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